#4:愛を表す三つのことば
ギリシャ語には、愛を表すことばが三つある。エロス、フィリア、そしてアガぺである。(正確には四つあるが一つは割愛する)
エロスは肉欲的な愛、フィリアは兄弟愛、そしてアガぺは無償の愛、神の愛だ。それは、捧げ尽くす愛であり、十字架の上で明らかにされた愛である。
受難というあれほどの扱いを受けても、相手を呪うこともせず、罵倒することもなく、あくまでも相手のベストだけを願う愛。自分の利益よりも相手の利益を心から願う愛。これはとても私たち凡人には及びもつかない程底知れぬ大きな愛だ。
神の愛とはこれほどに深い。それが聖書が私たちに告げることである。
これほどの深い愛で、神はあなたを愛している…それが十字架という方法によって完全に明らかになった。これこそが聖書のメッセージだ。
これを聖書は、良い知らせ、グッドニュース、ゴスペルと呼ぶのだ。 |
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しかし愚かな人間は、この神の名前を使って戦争を繰り返している。
アメリカは「神よ、アメリカを祝福したまえ」と議会で合唱してから、アフガニスタンへの報復攻撃を開始し、それに続くイラク戦争へと突入した。
同じ歌を歌って58年前には広島と長崎に原爆を投下した。
では日本の被爆者たちは、神がアメリカを祝福した結果だというのか。そんな馬鹿なことがあるわけがない。
イスラム教徒は、アッラーの名のもとに自爆テロを繰り返し、ユダヤ教徒はヤーウエの名によってパレスチナ人を攻撃する。しかしすべて英語ではGODである。神を信じる信仰が殺人を奨励するなら、そんなものに何の価値があろうか。
しかしそんな愚かな人間たちを見て、今日も神の国からイエスの祈りが響く。
「彼らを赦して下さい。彼らは何をしているのかわからないのです」
ジョージプッシュを赦してください…ビン・ラーディンを赦してください…彼らは何をしているのか分からないのです…
いや、それどころか、この私のためにも祈りがあるのだ。
「マレという男を赦してください…彼は何をしているのかわからないのです」
全くその通りだ。私は自分がどれほど愚かで醜い心の持ち主であるか知っている。私は妻を愛してるのに、喧嘩になればいつも決まって自分が正しいと思うのだ。それほどまでに自分中心である。だから私にとって、十字架の祈りは希望である。
自己中心という罪をさらけ出す愚かな私を神は裁かず、十字架という方法によってしか明らかにならなかった程の深い愛で、愛してくれているということを知るからだ。私にはこのような愛が必要だ。私は受容されることが必要だからだ。
自分の汚さにも関わらず、受容されているのだということを知るとき、そこに安心を得ることができるからだ。
私が受容されるために流された命の代価は、あまりにも尊いイエスの血だった。
しかしそれは私に神の愛を告げるグッドニュースであったのだ。